by 八妙会員 にゃあー

寒くなりましたがいかがお過ごしですか?第11弾!!

こんにちは、にゃあーです。
12月も中旬に入ってめっきり寒くなり、寒さが苦手な私にはつらい季節がやってきました。
最近、水口では最低気温が氷点下の日が続いており、今朝も車の表面が凍てつき、溶かすのに一苦労でした。
ちょっと前、関東地方では大雪が降ったようですが、水口は今のところ無事です。
思うと、昔はかなり雪が降り、家の庭でかまくらをつくったりしたものですが、近年はとんと少なくなったものです。

さて、かなり前置きが長くなりましたが、今回は祭りの今昔について書きたいと思います。
昔とはいっても、私の記憶にある範囲内ですので、ここ20年くらいのことですが・・・(昭和50年中頃からの話です。)

まず、水口祭り全体についてですが、昔はもっと見に来られる人が少なかったですし、内輪(町内)で盛り上がっているような感じでした。
どちからというと「知る人ぞ知る」祭りだったんでしょうか?
それが今は、全国各地から団体で見にこられる方々が増え、祭りも賑わっていますし、また、囃子をきっかけに祭りに興味を持たれた方が多くなったなと感じています。
毎年、来てくれる人も多く、年々お顔を知っている方が増えていくのは嬉しい限りです。
祭りそのものの様子も変わっており、例えば、昔は曳山を神社に奉納した後に囃子をすることはまずなかったと思います。
ましてや今のように曳山をおりて囃子をしたり、舞台をつくって囃子をしたりするのは当時からは考えられなかったでしょう。
また、これは他の祭りでもあることかと思いますが、女性が曳山に乗って囃子をすることはダメでしたし、(言い方は悪いですが)部外者が曳山にたずさわることもダメでした。
こういった例をみると、たった20年とはいえ、ずいぶん変わったと思いませんか?(もっと私の知らないところでいろいろとあるかもしれませんんが・・・)

次に、囃子関係です。
まず、囃子方ですが、各曳山町によって差はあると思いますが、もっと人数が多かったと思います。
前のコラムでも書きましたが、楽器が足らずマットや座布団を叩いていたぐらいですから。
もっとも、私の世代は子どもが多かったですし、加えて言うならば親の世代(いわゆる団塊世代)も多く、親子世代が一緒に囃子をしていた関係かもしれません。
ちなみに私の祭りデビューは中1だったと記憶しています。それまでは、乗る機会がなかったです・・
しかし、現在、私の世代で囃子をしているのは数えるほどです。水口町内で10人いないと思います。
これは、いろいろな原因があると思うので、今回はこれ以上ふれません。またの機会に・・・
さて、囃子についてですが、実はこれはあまり記憶がないんですよ。っていうか客観的に見れないんですよ。
自分の中では、諸先輩から教えてもらったとおりにしているんですが、実際はどうでしょうか。
早い話、聞き比べたら良いということで、先日も聞きましたが、微妙ですね。(実際に聞いたのは、HP内でも紹介されているCDです。)
ちなみに比較できるのは西囃子の天神町の囃子で、昔の囃子は私の祖父、今の囃子は私も演奏しています。
現在の囃子の方が洗練されているというコメントをいただいたことがありますが、興味のある方は是非一度聞き比べをしてコメントをください。
中にいる者にとってはわからないこともありますもので・・・

このように20年というかなり短い期間の中でも、祭りや囃子は形や姿を変えています。
様々な外部要因、内部要因があってのことですが、変わるところはそのときの時代にあわせて変えたらよいでしょうし、変えてはいけない(伝統として残さなくてはいけない)ところはきっちりと後世に引き継いでいかなければいけないと思います。
大事なのはその区別ですね。
水口祭り、水口囃子はこれから先どういう形になるでしょうか。
私個人としては、見せ物の祭りより、今のようにみなさんとワイワイできる祭りが好きなんですが・・・
どうでしょう?

それでは、また。

Last Update : 2002/12/16